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  • 執筆者の写真創英学館

なぜ東京進出したの?

塾長の中川です。


創英学館は山口県周南市で誕生しました。


現在は、東京都小平市に教室があります。では、なぜ東京に進出したのでしょうか?




 創英学館を始めて4年目、生徒さんも増えてきて何とか軌道に乗ってきました。当時は創価大学の受験生も今に比べて多く、周南市で塾をやっていても生徒さんを集める事ができました。


 しかし、長い目で見た時に周南市で塾をやっていても、いつかは生徒さんが減ってくるだろうと思いました。


 さらに、妻には「子ども達に学園で学んでもらいたい。」という夢がありました。


 そして、僕は決意しました。「このまま山口で創英学館をやっていても、いつかは生徒さんがいなくなる。子ども達を学園に行かせるなら小学校から挑戦させたい。」


 それが、僕が東京に来ることを決めた理由です。もちろん、ほとんどの方に反対されました。「合格してもないのに行く必要はあるのか?」「東京に行って生徒さんを集めることはできるのか?」「家族を路頭に迷わせるようなことをするのか?」など。


 でも、ここで動かなかったら絶対に後悔すると思いました。中には「中川さんは東京に住んでたから大丈夫ですよ。」という方もいらっしゃいましたが、僕が住んでいたのは板橋区で、小平周辺には全く知り合いがいませんでした。


 当然、生徒さんがいなければ創英学館を継続することなどできません。そこで、僕は条件をつけました。「もし、10名の生徒さんを集める事ができたら東京に進出しよう。」と。


 そして、毎週末に小平に来て、生徒さんを探したり、ホームページを見てお問い合わせをしてくれた方に会いに行ったりしました。


 結果的に、10名の生徒さんを集める事ができました。真剣になって行動すれば、必ず応援してくださる方が現れます。自分がやりたいことに本気になれるか?それができる人は、自分のやりたい事を達成できるし、本気でない人は達成するのは難しいでしょう。


 だから、僕は受験生には本気で合格すると決意してもらいたいです。


 最初の教室は、国分寺市北町に開校しました。そこは、一軒家だったので教室兼住居にする事ができたからです。西武国分寺線鷹の台駅からも徒歩10分くらいの所でした。


 国分寺校開校一年目は、山口県にも生徒さんがいらっしゃたので、毎週山口県と国分寺を往復していました。体力的にも経済的にもきつかったのですが、1年間やりきって東京に家族ごと移転しようと決めていました。


 ありがたいことに、何とか1年間やりきり、合格者も多く出す事ができました。そして、小平市に教室を移し、家族との東京での生活が始まりました。


 子どもたちも学園生として活躍しています。妻の夢を叶える事ができて本当に良かったです。


 創英学館を開校して現在16年目ですが、この時の決断が僕にとって最大の勝負でした。この決断をして本当に良かったです。


 教室が「創価教育原点の地」にあるので、生徒さんにも最高の環境で学んでいただく事ができます。


 

            教室のそばに流れる玉川上水


 高卒クラスの生徒さんの中には、教室の近くにアパートを借りて通ってくださる生徒さんもいらっしゃいます。学園生と同じような通学路を通りながら教室に通われます。


 住んでみて感じる事は、小平は住むのには最高の環境です。遠方で通えないと悩まれている方は、是非小平で生活しながら創英学館に通って下さい。


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