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  • 執筆者の写真創英学館

なぜ塾長は創価大学を選んだのか

更新日:2019年2月23日

塾長の中川です。


僕は小中学生の時は勉強が大嫌いでした。


宿題はやらない、テストの点数は上がらない。成績は下から数えた方が早い成績でした。


高校は、何も考えず自分の学力で通える地元の高校でいいやと思いました。


普通高校ではありましたが、偏差値は30台で一学年500人以上いる中で大学に進学する同級生は10人もいかないような高校でした。


そんな環境で学んでよかったことは、ちょっと勉強を頑張れば成績が伸びるところでした。特に高校一年生の時の担任の先生と仲良くなり、その先生が数学の先生だったので、数学の成績が一気に伸びました。


ところが、高校2年になり担任の先生が代わり、また勉強しなくなりました。


同時に、バンド活動を始めたこともあり、成績は急降下しました。


そのような状況だったので、大学進学などは一切考えず、ミュージシャンになることだけを考えていました。


20歳の時に、ミュージシャンを目指し大阪から上京しました。ところが、自分が曲を作るとなった時に、自分の才能の無さにショックを受けました。


曲は浮かんできても、歌詞がものすごく薄ぺっらい歌詞になってしまいます。


今振り返ると、浅い生き方をしてきていたので心に響く言葉が出てこなかったんだと思います。


音楽をやるのが辛くなってきて、バンドを脱退しました。しかし、そのあとは自分が何をやっていいのか分からなくなってしまいました。


何も分からなくなったから僕は自分探しをしようと思い、アメリカ大陸を自転車で横断することを決意しました。そして、実際にその夢を達成しました。


このことに関しては拙著『大学受験をしたことがないのに予備校を始めました』に詳しく書いているので、ここでは割愛します。















アメリカから帰国したあと、僕は飲食店で働き始めました。なぜなら、将来は自分の店を持ちたいと思ったからです。


また、それまでのアルバイト経験が飲食店ばかりだったので、自分の得意な仕事と思っていました。


ところが、働いていても全く喜びを感じることが出来ませんでした。


「俺はこのまま人生を終えてしまうのか?」


そう考えると、将来に対してものすごく不安になってきました。


そんな時に、アメリカ横断を達成した時に決意したことを思い出しました。


「将来は英語を教える仕事をする。」


当時は、決意はしていたものの、「自分は大学にも行ってないし無理だろうなぁ。」と思っていました。


でも、どうしても諦めきれなくて「大学に入って勉強しよう。」と心に決めました。


それから大学を調べ始めました、「自分で授業料を払いながら通える大学ってあるのかなぁ。」と調べていたら通信教育で大学の学位が取れるコースがあることを知りました。


英語の教員免許が取れる大学にしようと思い、慶應大学や日本大学にしようと考えていました。しかし、友達から「創価大学の通教に入ってんだけど、大学に興味あるなら入学案内を取り寄せようか。」と言われ、僕の考えは変わりました。


創価大学の通信教育課程では英語の教員免許は取れません。


正直に言うと、創価大学に入学することは悩みました。


でも、「俺は学校の先生になりたいわけじゃないよな。英語は自分でも勉強できるやん。」と思い、創価大学の教育学部に入学することに決めました。


この決断が、自分の人生を変えるとは当時は想像もしていませんでした。


「創価大学に入って何が変わったのか?」


次回に続きます。





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